医療機関における心理的安全性の重要性について、基本的な知識を交えながらご説明します。
心理的安全性とは、「チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと」と定義されます。(Edmondson, 2014)。これは、「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」であり、形成されると組織が「安全基地」としての役割を果たすようになります(青島・山口, 2022)。
医療機関を取り巻く経営環境は、医療政策の改革や感染症の流行など、外部環境の激しい変化により厳しさを増しており。高齢化に伴う複合疾患や難症例の増加は医療従事者の心身の負担を増大させ、医療の質の向上と患者の要求の高まりは、医療職が習得すべき知識や技術を日々高度化させています。このような状況下で、人材不足も深刻化しており、医療機関では職員が安心して、そして効率的に働ける環境を整備することが、病院経営の基本戦略となっています。
心理的安全性は、単に性格が良いとか、感じよく振る舞うこと、嫌われないように目標を下げることではありません。心理的安全性は、より上位の目的(目指すもの)を達成するための手段として構築されるものであり、それ自体が目的ではありません。
心理的安全性は、以下の4つの構成要素から成り立っています(石井, 2020)。
- 話しやすさ: 情報共有、意見表明、指示や依頼を理解するための発言や質問ができること。
- 助け合い(チームワーク): トラブルや行き詰まりに際し、相談、支援・協力の要請や、必要な依頼ができること。
- 挑戦(ブレインストーミング): アイデアの模索、その提示とフィードバック、論理を越えたものも含めた実験ができること。
- 新奇歓迎(チャレンジ): 過去の常識から解放され、個々の才能に合わせた最適配置、チームとしてアウトプットの最大化を目指せる役割分担ができること。
医療機関において心理的安全性が重要となる理由は多岐にわたります。
- 生産性の向上: 「分からないことが聞ける」状態は、医療安全の分野で特に大きな効果を発揮します。経験の浅い職員や中途入職者は業務遂行中に疑問や戸惑いを感じることが少なくありませんが、心理的安全性があれば躊躇なく質問でき、医療現場での事故やインシデントを防ぐことができます。「分からないことが聞ける」組織は、医療安全上の心理的セーフティネットが備わっていると言えます。また、現場主体の改善アイデアも生まれやすくなり、業務の生産性向上に直接的に繋がります。
- 多様性の受容: 病院組織の構成員の多様性は加速しており、さまざまな属性や価値観を持つ職員が働いています。心理的安全性が確保された環境では、少数派の職員も遠慮なく意見を述べることができ、疎外感からモチベーションを低下させたり、離職したりすることを防ぎ、組織運営上の損失を防ぎます。多様な職員が安心して発言できることは、多様性を受け入れるための第一歩となります。
- イノベーションの促進: 心理的安全性が担保された組織では、活発な意見が出やすく、既存業務への変化への抵抗も少ないため、業務改善や組織改革が進みやすくなります。少数派からの斬新なアイデアは組織内の変革を促し、イノベーションが起こりやすい土壌が醸成されます。職員が安心して発言し、組織の意思決定に積極的に関与することで、“やらされ感”が低下し、モチベーションが向上し、現場主導の業務改善・改革が加速します。(Deci EL)。
- 組織文化のアップデート: 外部環境の変化が激しい現代において、従来の思考や前例主義だけでは対応できない場面が増えています。心理的安全性は、このような環境変化への柔軟性を備えた組織対応力を醸成し、経営戦略の組織内浸透をスピードアップするための基盤となります。職員が自発的に発言・行動し、たとえ失敗しても大丈夫だと思える心理的安全性は、リスクに向き合う姿勢を育む上でも有効です。
- 従業員満足度(ES)と顧客満足度(CS): 経営学の分野では「ES(Employee Satisfaction)なければ,CS (Customer Satisfaction)なし」と言われており、これは病院にも当てはまります。より良い医療機関を創るためには、より良い職員に集まってもらい、安心して働き続けてもらうことが重要であり、職員が安心して働ける組織づくりは病院経営の中枢の課題です。心理的安全性の高い組織では、チームへのエンゲージメントが向上し、離職率が低くなるという効果も報告されています (Ulusoy et al., 2016)。
- 医療安全の向上: 医療は連続性のある業務であり、瞬時の判断が求められる場面が多く存在します。心理的安全性が低いと、「疑問点が聞けない」「発言するのが怖い」といった躊躇や遠慮が生じ、小さな戸惑いが大きな医療事故やインシデントに繋がりかねません。心理的安全性が担保された組織では、分からないことをすぐに質問できるため、医療安全上のリスクを低減することができます。
組織文化を議論する際には、「同質化」と「異質化」の視点も重要です。同質化は一体感を生みやすい一方で、同調圧力が働きやすく心理的安全性が損なわれる可能性があります。不確実性の高い現代においては、多様な視点を持つ異質化組織の方が、環境変化に柔軟に対応し、さまざまなリスクに対応しやすいと考えられ、今後の病院経営では異質化寄りへの組織文化シフトが求められるかもしれません。ただし、過度な異質化はマネジメントコストの増大や組織のまとまりを損なう可能性もあるため、バランスが重要です。
心理的安全性を構築するためには、リーダーシップが重要な役割を果たします。組織の状況(無気力な職場、不安な職場、快適な職場、学習できる職場)に応じて、リーダーは自身の姿勢を振り返り、適切な介入を行う必要があります。
心理的安全性を構築するために必要な基本的な姿勢としては、「思考=現実」から脱却すること、自分自身を客観的に見つめること、今この瞬間に意識を集中すること、他者を理解し、受け容れ、共感すること、大切なことを明確にし共有すること、そして、できないことや弱さを受け入れることなどが挙げられます。
心理的安全性は、組織づくりにおける万能薬ではありません。しかし、厳しさが増す病院経営環境を乗り切るためには、心理的安全性を適切に確保した強い組織づくりがこれまで以上に重要な経営課題となっており、今後ますますその重要性は高まっていくと考えられます。
参考文献
• エイミー・C・エドモンドソン(著)野津智子(訳) .(2021).『恐れのない組織』英治出版.
• 裴英洙.(2022).なぜ病院経営に心理的安全性が必要なのか. 病院, 81(10), 858-861.

・心理的安全性は組織を成長させる多様性を促進し、イノベーションを加速させる鍵となる
・1人で大きなミッションは遂行できないことを自覚し多様な意見を吸い上げるための組織文化として心理的安全性の醸成は欠かせない。
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